ここは岩手県宮古市。宮沢賢治も歌を詠んだ"浄土ヶ浜"の美しい海岸。"東日本大震災"より前に撮影した、快晴の三陸海岸の様子をお伝えしよう。
"JR岩泉線"は、かつて"茂市駅"から"岩泉駅"を結んでいた路線。
第二次世界大戦中に耐火煉瓦の原料となる粘土の輸送のため着工される。
廃止後は東日本交通による"茂市岩泉線"が代替路線バスとなった。
"龍泉洞"付近で宿泊した私は、
"JR岩泉線岩泉駅"から旅を再開する。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z750朝晩にしか列車の来ない"JR岩泉線岩泉駅"(岩手県下閉伊郡岩泉町)。全線通し運転は1日3往復、途中駅の岩手和井内駅で茂市駅へ折返す1往復。途中駅に列車交換設備も無い路線は、過去に貨物輸送を行なっていた。 開業当初は"小本線"という名前でさらに延伸の予定だったが、それも夢の跡。駅に人がいる風景、2006年(平成18年)の貴重な写真となった。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z7501982年(昭和57年)に"特定地方交通線第二次廃止対象線区"となった。代替道路未整備を理由に廃止は免れたが、災害不通から復旧されることなく廃止。この鉄路が伸びる光景も貴重な写真として私の中に記録されている。 "JR岩泉線"に乗車して、"JR山田線宮古駅"(盛岡県宮古市)を目指す。記憶が確かならば、乗車した列車は茂市駅からJR山田線に直通運転していた。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z750"JR山田線宮古駅"到着後に路線バスに乗り換えて海へ向かう。リアス三陸の海にたどり着いた。ここは国の名勝"浄土ヶ浜"(岩手県宮古市)。海水浴場は"快水浴場百選"・"日本の渚百選"など、美しい海として名高い。 当然に東日本大震災の津波被害を受け、レストハウスと海水浴場が閉鎖された。季節的にも海水浴はしなかったが、この美しい海岸線を少し散策。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z750"うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ"この歌を詠んだのは宮沢賢治。実際、私も感激するぐらい美しい海だった。東日本大震災により現在と海の様子も少し変わっているのだろうか。 "フルサイズミラーレス一眼"で再びこの風景を撮影してみたい。先に紹介した"106急行バス"でも"浄土ヶ浜"にダイレクトアクセスが可能。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z750三陸の海を大津波が襲った"平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)"。過去にも大津波がこの地を襲っている。1960年5月24日。1933年の大津波を伝える"大海嘯(かいしょう)記念碑"も近くに建立。 大地震の後には津波が来る、チリ地震碑では"地震がなくとも潮汐が…"とある。明治・昭和・チリ地震・平成と大津波が幾度と襲った地にひっそり建つ。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z750美しい海も震災後は瓦礫で埋め尽くされたが、白い砂浜は輝きを取り戻す。海水浴客・観光客は震災前の水準まで戻り、宮古の海は賑わうようだ。一方で避難路が設置されたり、次の災害への備えは欠かさない。 "シーパルピア女川(宮城県牡鹿郡女川町)"の復興にも震災の教訓が。今後、被災地"東松島・野蒜地区"(宮城県東松島市)も紹介したいと思っている。
CASIO EXILIM ZOOM EX-Z750地図上では少し遠回りの"JR釜石線快速はまゆり号"盛岡行に乗車。後年の"快速八幡平号"や"快速リアス号"と同じ"キハ110系一般形気動車"。珍しい指定席連結、そしてリクライニングシート設置と快適な快速列車。 盛岡駅から"JR東北新幹線はやて号"に乗車して帰京した旅だった。岩手県を旅した約20年前の写真を紹介。写真は色褪せずに残っている。
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