尾久温泉 -OGU-
2025年 11月 07日

"JR東北本線尾久駅"は、上野駅から1駅5分の場所に位置する。
実際に尾久の町として栄えたのは、現在の都電荒川線沿線の補助90号線沿い。
大正時代に温泉が発見され、昭和の時代まで三業地として栄えた。
高度経済成長期に周辺の工業地による地下水の汲み上げで温泉が枯渇。
以降は町工場と住宅街を中心に商店街が残る程度となっている。
完全に思い付きで撮影したので雑だが、都電荒川線沿いの秋バラの季節。
かつて"王子電気軌道"として、街の発展に貢献した交通機関だ。
"尾久"は鎌倉時代~室町時代に"小具郷"(おぐのさと・おぐごう)と呼んだ地。
東日暮里や台東区根岸、北区堀船まで広がる広大な地域だった。
明治22年に"尾久村"の誕生で地域が狭まり、荒川区になり自治体名として消滅。

焼酎醸造に使用しようと水質検査をすると、その水にはラジウムが含有。
寺の中に"不老閣"という温泉施設を開設し、以降周辺に温泉街が広がった。
花街(芸者屋や遊女屋が集まる地域)としても発展、三業地として指定された。
※三業地=料理屋(旅館)・芸妓屋(置屋)・待合茶屋が集まる地域

温泉リゾート地だった"尾久温泉"発祥の地。いまはほぼ面影を残さない。

場所は"都電荒川線宮ノ前電停"徒歩1分、かつての温泉街に近い。
銭湯こそ付近にはあるが、天然温泉は現在は入ることが出来ない温泉地。
温泉の発見が、怪我をした子供の傷口を洗うと血が止まったからという説明も。
大正時代の話になるので、温泉の生い立ちには諸説あるのでしょうか。

"尾久温泉"の面影を残す地、"割烹熱海"(東京都荒川区西尾久3)もそうだ。

大正6年創業の老舗は、令和3年に店舗を大幅縮小して新店舗となる。
平日ランチ営業も貸切制となっているので、諦める事にした。
昭和11年5月の"阿部定事件"は、待合"満佐喜"で発生した事件だ。
平日日中の尾久でお腹を満たすことが出来なかったので、都電に乗って移動。
今回は"尾久"にあった温泉地、"尾久温泉"の周辺を歩いてみた。
私の説明は下手なので、検索すると様々な情報を得ることが出来るのでどうぞ。
"JR東北本線尾久駅"は、北区昭和町に所在し尾久の所属する荒川区ではない。
by alpha2025
| 2025-11-07 09:14
| 風景写真 -東京-









